20回・20年、痕跡の爆発

 20回目の<ダンス白州>はますます大地に接近し、森や農地に浸透し、人心に時空間の大転換を仕掛ける勢いです。1988年の夏、<白州・夏・フェスティバル>(旧称)が、中堅として活躍していたアーティストや、文化芸術と生命の連関に関心を抱く市民の手弁当の小さな委員会から始まりました。中核は、全国の都市、世界各地の劇場や美術館、野外を会場に活躍していた舞踊家、演劇人、音楽家、映像作家、建築家、アート・プロデューサーなど。85年からすでに白州町に「身体気象農場」を開いていた舞踊家の田中泯(現在は芸術監督、現場親方)と、その仲間たちが拠点をにないました。

 昭和の末期、実行委員には40代になったばかりの作家・中上健次、美術家・榎倉康二などが顔を連ねていました。彼らのほかにも、失われゆく「根源」との繋がりに思いを残して他界した仲間たちがいます。当時は「我々が生まれた森と農村から都市を逆照射する」ことをスローガンにしていました。時代はバブル経済に浮かれ、自然環境と人間思潮への危機意識はまだまだ生やさしいものだったかもしれません。その後<アートキャンプ白州>へ、さらに現在の<ダンス白州>へと改称しています。途中1年だけ開催を断念した年がありましたが、ともあれ、おかげさまで、今年で20回目の開催をむかえることとなりました。
 20年のあいだに、私たちのスローガンもよりラディカルに、根底へと向かって、「農村と都市」といった二元的な思考では追いつかなくなりました。「縄文という生命(いのち)」を今年のテーマとした所以です。いうまでもなく、「縄文」という言葉には、永遠の叡智と生きることへの勇気を仮託しています。

 ことは本格化の一途をたどってきました−−農業も森林運営も、芸術文化活動も、日々の生活意識も活動も。世代間の交流がますます重要になり、イノチの交流と交感が年々深まり活発になっています。血縁や地縁、情報や傾向の相似を超えて、「四つに組んで本気のことをする」仲間が、十代の若年層から70歳代まで、また世界20カ国以上から、広く結集しています。<ダンス白州>の身上は立場や経験の違いをこえて、出演者も表現者も、観客も来場者も、個々人が開示し提供しうるものを惜しみなく交換しあうところにあります。ここでは、まず場所への敬意を学びました。そして、身をもって、手を使って、アタマを働かせて、工夫をして、人間同士の関係を深化させて、より優れた環境と関係性を形成する。ひと夏だけの経験でも、身体化されたその営為はほかの時間を変えます。20年間の蓄積は確実に血肉化し、個人から共同性へと影響力を発揮してきました。

 今年も伝統と前衛が境目なく出会い、融合するプログラムを展開致します。初登場の「鬼太鼓座」「東京乾電池」、岩手の秘めた芸能「鬼剣舞」、またインドの古典舞踊劇クーリヤッタムの本格公演、ロシアの小共和国TUVAの喉歌ホーメイなどとともに、恒例の20名の野外ソロダンス・シリーズ、現代美術の現地制作と展示など、十日間は濃密です。20年の間に少しずつ手作りし、野外の森や田畑に棲みつくようになった舞台や会場で、白州ならではの表現と生活、天然と一体化した命の実感を味わって下さい。

平成20年6月吉日 ダンス白州実行委員会

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'90栗林でのイベント風景 '90栗林でのイベント風景

榎倉康二「干渉(1988)」 榎倉康二「干渉(1988)」

'92沖縄歌垣モーアシビ '92沖縄歌垣モーアシビ

'89スーダン仮面舞踊 '89ブーダン仮面舞踊