8月16日(土)

●ソロダンス()内はパートナーとその役割
15:00 荒木志水(古立ケンジ[和太鼓&パーカッション])
09:00 カピラ・ヴェーヌ(インド, 田中泯[演出・構成])

<ダンスを話そう!>ソロダンス立会人: 石井達朗(慶応大学教授、舞踊研究・評論)

荒木志水|Shizu Araki

<プロフィール>
振付家・ダンサー。79年生まれ。東京都出身。02年 福原哲郎「東京スペースダンス」への参加をきっかけにダンスにのめり込む。 03年 ソロ活動を開始。「伊藤キム+輝く未来」にダンサーとして参加。 06年 高野美和子「Time and Locus」にダンサーとして参加。 07年「輝く未来」に参加。08年5月「伊藤キム+輝く未来」 イギリスツアー 『生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?』で、伊藤キムのパートを勤める。 作品に『まどろんだ海』『NERVOUSの着替え』『満月がなりやまない』『ロゼット』などがある。

<コメント>
心も体も、同化したいと願う対象に似てくるそうだ。骨があり、皮があり、形がある。身体はハッキリとそこに在るようで、なんて変わりやすいものなのだろう。いつも屋根のしたにいる自分を、ただ土の上に落としてみたい。
以前より、白州の土の上で踊りたいと目論んでおりました。ダンス白州で踊らせていただけること、演奏家とのコラボレーションという経験をもてること、幸せに思います。

<パートナー:古立ケンジ[和太鼓&パーカッション]>
パートナーを選んだ理由: 和太鼓とのコラボレーションには苦い思い出があります。踊りはじめたばかりのころで、わたしは太鼓の圧倒的な迫力に打ちのめされました。今回、パートナーには振付家を考えていたのですが、踊りのモチーフが決まっていたため、そこに+演出や振付けを貰うよりも演奏家との対峙を選びました。

< パートナープロフィール>
古立ケンジ  Kenji Frudate (和太鼓奏者&パーカッショニスト)
80年大阪府出身。古典を仙波清彦氏、仙堂新太郎氏に師事。03年よりメンバーと共に「GONNA」を創設。中心メンバーとして活躍。05年愛知万博「愛・地球博」出演。06年より独立しソロ活動を展開。「音の自由・出会い」をコンセプトに「Meet's Jam」と題した独自のライブを展開。毎回様々なゲストと共にライブを行い、その場の即興・アドリブ演奏を中心に音楽構成を行っている。07年師である仙波清彦氏とジャム・セッションライブを行なう。07年中国で行なわれた日中国交正常化35周年を記念した「日中文化・スポーツ交流年」日本政府主催事業のグランドフィナーレ・コンサート出演。08年2月下旬から3月中旬までニュージーランドで行なわれたハミルトン和太鼓フェスティバルにゲスト出演、各地のイベント・学校公演などを行なった。

カピラ・ヴェーヌ|Kapila Venu

<プロフィール>
ユネスコの世界無形文化遺産に指定された、カタカリの原型ともなった世界最古のサンスクリット劇、クーリヤッタム。そこから派生し、同じ位長い歴史をもつナンギャール・クートゥ。カピラ・ヴェヌはその中でもひときわ優れた踊り手である。

<パートナー:田中泯[演出・構成]>
パートナーを選んだ理由:伝統的技術を繰り返し日常の中で訓練する私達のクーリヤッタムという演劇から、初めて白州で泯さんに出会い、深い部分での共通点を感じ、田中泯演出作品:国際共同制作ダンス・プロジェクト気配の探求シリーズ最終章「森の祝祭」東京井の頭公園にて、への参加を経て以来、今年3度目の白州になります。昨年から私の思いは泯さんに真っ昼間でのソロの踊りを演出をしてもらうことでした。今年もまた白州に伺えるおとが本当に楽しみです。

 

■19:30 会場:盛土舞台
南インド・ケーララ州古典舞踊劇クーリヤッタム新作
「砕かれた腿―ドゥルヨーダナの最期」〜バーサ作:マハーバーラタより
演出:ゴーパール・ヴェーヌ

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クーリヤッタム|Kutiyattam

本演目はおよそ紀元前1〜2世紀頃、クーリヤッタム最古の劇作家と伝えられる、バーサの台本に基づいている。現存するバーサ作品は13本を数え、既に演目として確立、継承されている古典もあるが、また今に型が伝えられないものも多い。本作はそうした1本であり、それゆえ新作であると同時に、復旧と呼ぶべきものでもある。
 物語は『マハーバーラタ』、インドのあらゆる古代神話、伝説、論説を網羅した百科全書、インド精神の背景を成す偉大な叙事詩の世界。パーンダヴァとカウラヴァ、互いに同じ血をひきながら敵対する二つの王家の悲劇的大戦争も終わり近く、敵役ドゥルヨーダナの最期を描き、戦いの虚しさを説いて、ある種反戦劇の趣をもつ。
……運命の為すところ、クルの原野に繰り広げられてきた戦いもいよいよ大詰め。カウラヴァの百王子たちは、ひとりドゥルヨーダナ王を残すのみ、ともに奮戦した英雄たちもそのことごとくがパーンダヴァ軍の前に倒れた。ドゥルヨーダナとパーンダヴァ五王子の次男ビーマによる、棍棒をとっての最後の決闘。初め闘いは、技においてやや勝るドゥルヨーダナに有利かとみえた。だがビーマは、決闘の定めを破り、恐るべき怪力をもってドゥルヨーダナの太腿を打ち砕く(1対1の闘いで、対手の下半身を狙ってはならない…しかしビーマは、敢えてクリシュナの合図に従ったのだ)。あえなく地に倒れたドゥルヨーダナ。今や死を待つばかりとなった彼の目に映るのは…累々と原野にはあまたの死骸がうずたかく、さまようのは野に棲むけもの、屍肉を漁るジャッカル、禿鷹のたぐい、血に飢えた幽鬼どもの影。偉大な王たち、戦友たちは逝き、クルの野には血があふれている。
 最期を迎えたドゥルヨーダナの許へ、僅かに残った二人の友、バララーマ、そしてアシュヴァッターマンが駆けつける。復讐の怒りに燃える友に、ドゥルヨーダナはこれ以上の戦いの無益を語り、両親へ、息子たちへ今生の別れを告げるのだった。いま彼の眼には、七つの大海、聖なる両河ガンガーとヤムナー、そして永遠なる世界へと彼を導く天の戦車が見える……ドゥルヨーダナは死んだ。


ごあいさつ
南インド・ケーララ州は豊かな伝統芸能の宝庫として、インド国内ばかりか世界にその名を知られています。中でもケーララの人々が誇るものが「クーリヤッタム」……世界最古の演劇とも称せられ、千年を超える時の流れを経ながらなお、現在に生きる芸能として脈々とこの地に長らえてきた、まさに世にも稀な芸の華です。
 クーリヤッタムが初めてわが国に紹介されたのは1988 年、その後1997 年再来日、さらに8 年を過ぎた2005 年、三たび来日を果たしました。しかしこの第3 回来日は、それ以前とは大きく性格を異にするものでした。
 異なるところとは……そこにはアジア芸能の日本における受容の変化、またクーリヤッタム、それ自身の変貌もはたらいています、伝統と現代の狭間において……
 クーリヤッタムは2001 年、ユネスコの世界無形文化遺産に指定されています。それは今回来日するナタナカイラリ研究所所長G.ヴェーヌ氏をはじめとする地元識者たちが復興に努めてきた証しでした。同時に、クーリヤッタムはひとつの画期を迎えたのです。
 伝統はつねに時代の新たな血を注入されることで、古き枝に接がれてはまた花開くものです。ヴェーヌ氏はこの時、初めてクーリヤッタムの創作に挑みました。グプタ朝の劇聖として今も尊崇されるサンスクリット詩人、カーリダーサの古今に知られた名作「シャクンタラー姫」のクーリヤッタム化です。
 これはほんとうに新たな一里塚でした。カーリダーサは世界文学の中で不朽の名声を讃えられながら、生きているサンスクリット劇クーリヤッタムの伝統演目としては、遺っていなかったのです。しかしヴェーヌ氏は闇雲に新作創出を目指した訳ではありません。あくまでも伝統的手法、理論に則り、偉大な師、グル・アマヌール・マーダヴァ・チャーキャールの指導の下、クーリヤッタムが現代に生きる形を生み出そうと、渾身の力を傾けたのでした。
 その願いは、まだ若い劇団員たちの想いとも一致し、見事に実を結びました。2005 年東京公演では、日本では初めての4 夜にわたる「シャクンタラー姫」通し上演が行われ、クーリヤッタムという芸能が本来もつ形態、その片鱗なりとも窺うことができました。同時に、古典演目「ジャターユの死」及び「シャクンタラー姫」〈1 日版〉もこの時演じられ、岡山(美星町/岡山市)、横浜、山梨(北杜市)の各地で人びとの心を捉え、大きな反響を呼んでいます。
 さらにこの日本公演は、思いがけない別の花をも咲かせました。日本が世界に誇る舞踏家、田中泯氏との出会いです。2005 年公演はそもそも、田中泯氏が主宰するフェスティバル“ダンス白州2005”による招聘を核に実現したのですが、結果として舞踏とクーリヤッタム、前衛と伝統、あたかも両極端に位置するがごとき二つの芸術分野に、文豪ゲーテのいう“親和力”とでも呼ぶほかない何かがはたらいたという他、ありません。その後、フェスティバル“ダンス白州”では、2006、2007 年と、クーリヤッタムの女舞“ナンギャール・クートゥ”を招き、相互の交流を深めて来ました。
 また2007 年1 月、田中氏はケーララの“クーリヤッタム・フェスティバル”に参加、現地の人びとは初めて、《舞踏》の世界を体験しました。その折、創出のさなかにあった新作「砕かれた腿」を目のあたりにした氏は、日本上演を待望。一方この間にヴェーヌ氏が、2007 年度日経アジア賞(文化部門)を受賞するなど、こうした経緯を通じ、明2008 年、再びクーリヤッタムを招く機が熟したといえましょう。
 “クーリヤッタム”は伝統のみを墨守する硬直化した芸能ではありません。しかし自らの根を離れ、ただ未来の形を追い求めるものでもないのです。 アジアの伝統芸能者は多かれ少なかれ、この命題に直面し、精一杯に自らの命を生きようとしています。その中で、得も言われぬ香りを放つ、最も古くて新しい花、クーリヤッタムに、機会あるつど日本の皆さまに親しんでいただきたい、それが主催者の願いです。
クーリヤッタム-2008-日本上演委員会

 

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